Hope's harbinger
2019年11月1日(金) - 11月24日(日) Nov.1 - 24
EUKARYOTE
http://eukaryote.jp/exhibition/hopes_harbinger/

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The ark stood firm on Ararat; th’returning Sun
Exhaled earth’s humid bubbles, and emulous of light,
Reflected her lost forms, each in prismatic guise
Hope’s harbinger, ephemeral as the summer fly
Which rises, flits, expands, and dies.
*

方舟はアララテの山にどっしりと立った。戻ってきた太陽は
大地から湿りを帯びた泡を立たせた。泡は光と競い、
大地の失われた姿を映した。泡はどれもプリズムに似ているが
希望の前触れだ。それは夏の蠅のように儚く
湧き起こり、軽やかに飛び、膨れ、死ぬ。
(高儀 進 訳)

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私たちはいつでも天を仰げば光に満ちた存在を感じることができる。たとえ夜であっても星々から反射されたそれを見ることができるように。
我々は太陽光を浴びて眼を覚まし、日の落ちた暗闇に眠る。現代でさえ世界を照らし出すことができるのは太陽だけであり、古代より変わらぬ祝福の光だ。
そして今、我々の手の上には小さな光がある(あるいは家の壁に、デスクの上に)。この拡張された身体としての機械は常に発光する表示機器とともにあり、それは万能の窓でもある。

光によって物の形が露わになるさまは夜明けの時間にこそ鮮明に映えるが、光に満ち乱反射する場所では自らの形さえ失ってしまうだろう。眩い赤光の元で私たちは眼を開けていることができない。
闇に差す偉大なる光を真実に見ることはなく、光の洪水は形を映し出すとともに崩落へ導く。
これはイギリスのロマン主義の画家J.M.Wターナーの絵画に表現された一つの主題でもある。彼の絵画には完成することの叶わなかった自身の長篇“Fallacies of hope”(虚偽の希望)から抜き出された詩が度々付されたが、その詩と絵画は時代性を持った示唆に富み様々な逸話が引用された。しかし彼は晩年になるにつれ形象を失った光に満ちた空間をよく描くようになり、物語は光と色彩に呑まれていった。ターナーにとって光とは、希望とは何であったのか。200年近く過去に生きた画家の仕事に私は思いを寄せている。

彼の絵画を手の上の光を媒介してしばしば見つめるとき、そこには光の美しさがある。その絵の実物には絵具の荒々しい痕跡が見え、光をキャンバスに定着させようとした様を想像することができるかもしれない。しかし、完全なる光となった絵画上のイメージは形のみならず、描かれた光景をも透明な光で映し出す。
形式において晩年のターナー絵画はモダニズムとの接続をはじめとした、近代における多解釈にさらされてきたが、このある種特殊な扱われ方をしてきた画家の作品は"絵画"という領域を出た光となり、現代もなお私たちの感性に息づいている。
私はいまとなっては誰の手の上にもあり、町中そこらにあるこの光について考えてきた。それは言わば光に満ちた場だ。まさしくバックライトによって全ての素子が輝くモニターは光であるとともに像なのだ。そして光は物の形を解像し、時に崩落させる。

彼が描いた光の崩落の先には、果たして何があったのだろうか。
私もまた、たとえそれが偽りであったとしても、光の先にある何ものかを追い続けることで先人に報いたいのである。

2019.10 香月恵介

*1843年に描かれたターナーの作品「Light and Colour (Goethe’s Theory) - the Morning after the Deluge - Moses Writing the Book of Genesis」に付された詩(Fallacies of hopeより引用された)

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